JOmonjin

〜教育・ミニマリスト・幸福論〜

夢も目標も自分らしさも不要

最近、夢とか目標とか考えることに疲れてしまった。

そもそもなぜ、夢とか目標を設定しなければいけないのだろう。

 

小さい時から、夢とか目標を持つことが善だと思うように仕込まれていたのかもしれない。

 

仕事を退職して、大学院にいる。研究をすすめる中で、いろんな「なんで?」が出てくる。自分の中で「なんで?」が発生してくるわけだけど、それは、まったく将来や未来につながるものではない。

 

研究内容も結局、自分にしかできない研究ではなくて、ただただ「なんで?」を積み上げた結果できたテーマになった。

 

夢とか、目標が自分を苦しめているという事実を実感した時、人間らしさを取り戻した気がした。

人間の本来の生存目的って動物と同じはず。

 

3大欲求を満たして、ゆっくり生きたいと思うようになった。

 

話は変わるけど、最近不登校とか、精神的に参っている中高生が多いと聞く。

不登校ってそんなに悪ではないはずだけど、どうしてこんなに問題視されているんだろう。

 

これにも目標とか夢とかが関係しているように思う。

不登校だと目標に到達できないとか、夢から遠ざかるとか。

そもそもそんなすごい夢を中高生が持っているとは思えないけど、レールからはみ出すことで、自分が社会の中で善と思われていることが達成できなくて、苦しんでいるのかな、とも思ってしまう。

 

今、不登校とかになってもそれって社会との接点がなくなるわけでもないし、むしろ忙しすぎる学校生活から離れて自分と向き合うチャンスなわけで、そんなに気にすることでもないと思うんだが…。

 

私自身、今目標とか、夢は特にない。自分らしく生きたいというよりは人間らしく生きたいと考えている。

人間らしさって、

食いたい

寝たい

エロいことしたい

 

の他にも、

 

歩きたい

自然に触れたい

文字を書きたい

声を出したい

きれいなものを見たい

知らないところに行きたい

 

とかもあると思う。

それでいいんだと思う。

生きていく上で、価値観の変化は自然なことで、悪ではない。

若い時は、夢とか目標を持つこと自体が重要だったけど、もうそれは不要な気がする。

 

今はより、人間として人間を生きたいと思えるようになった