うまくいってる人は結局【暇人】な気がする
人生の幸福度を高めているのは結局【暇】なのでは?
私の経験で申し訳ないのですが、
・仕事に追われている
・自分の趣味をできないくらい疲弊している
・帰ってきたら気絶するように寝ている
みたいな生活をしていたとき、自分は全く幸せではありませんでした。
そりゃそうですよね。
・仕事からのプレッシャー・ストレス
・疲れ切って自炊もする気が起きず、コンビニ飯か外食
・帰ったら、自分をいたわることもなく爆睡
こんな事やっていたら健康にもなるはずないし、幸せになるはずがない。
そして、こんな生活をしていたら、週末などの休みは爆睡するか、散財するかないんです。これがストレス発散になるので。
だから資産形成もできない。本当にびっくりです。なんでこんな生活していたんだろう。
今の生活は、非正規労働。手取りは18万くらい。
でも基本的に15:00くらいには解放される。
私の感覚では、17:00まで働くのは絶対良くない。何もできなくなる。
(以前は20:00くらいまで働くのがデフォ)
私が考えるに、【暇】が最強なのでは?ということ。
暇だとね、
・自炊するんです
・コンビニじゃなくて、スーパーやドラックストアに行きます
・アニメや映画を楽しめます
・読書できます
・こうやってブログも書けます
・家計簿もつけちゃいます
・固定費も見直せます
・なんでか資産形成も順調になります
てな感じで、あんなに疲れ切っていたのに、この生活になったら、年収3分の1になったくせになんだか【前向き】になれるんです。
結局、正規採用の時よりも貯蓄額は下がったけど、貯蓄率は上がったんです。節約界隈や資産形成界隈では、この【貯蓄率】って超重要らしいんです。(確かに。残りの金額で暮らせるのであれば何も問題ないですよね)
【貯蓄率】を上げるには、とにかく【暇】になるしかないのでは??
今の私の感覚だと【暇】が最強ということです。
私は現在、非正規雇用の派遣労働です。
でも自分に対してしっかり向き合えているのは、今の働き方です。
今日はここまで。
努力しなくてもできることが才能です。
努力しなくてもできること…。自分は何があるだろう…。
正直にいうと、わかんないんですよね、自分のことって1番自分がよくわかっていない…。できないことならたくさん出てくるんですけど…。
ということで、ちょっと考えてみました。
・文章を書くことは苦じゃない
・人前でも話せる(ただ、アドリブは無理。計画や台本が必要)
・常に「なんで」が言える(単純に疑問を持てる)
くらいかな…。
問題はこの才能をどう仕事に活かすかだと思うんですが、どうでしょう。
「努力しなくてもできる」ってその人にとっては当たり前すぎて全然気づくことができません。
私も上記の才能は本当にひねり出したもので、他人から見たら、ぜんぜん違うかもしれません。信頼できる人がそばにいるってすごく大切ですよね…。(私にはあまりいないかも…)
努力ってきっと苦痛を伴うものですよね。多分才能がある人はその苦痛を苦痛とすら思っていない。むしろその苦痛を楽しんでいる。
こんな歳になってしまったけど(もうすでにアラフォー)まだまだ自分を知ることはできていません。孔子先生は40歳で自分を知るとおっしゃっておりました(不惑)が、私は全然迷っております(泣)
あと何年か使って自分にフィットした才能を見つけたいと思います。
続きを読むものが減らないのは捨ててないから。
こんにちは。
今回のテーマは、「ものが減らないのは捨ててないから」です!
私が住んでいる今の部屋は、だんだんとものが増えてきました。
どうして増えたかというと、「捨てていなかったから」です。
生活をしていれば、必ずものは家の中に入ってきます。これはどうしようもないことです。これと同時に、家の中からものを出していけばいいのですが、
それができない!!
理由は
・捨てるのにもエネルギーがいる
・捨てる以外の選択肢が多いから悩む
・使っていないけど、仕事に関わるものだからいつか使うかもしれないと思ってしまう
など、複数の要因があります。
よく言われるのは、買う前に、捨て方も知っておくことが大事といいますが、まさにそれ!!
それから、今ではメルカリなどのフリマサイトがあるおかげで「もしかしたら売れるかも!」と思って取っておいている状態になってしまうのです。
でも、フリマサイトに出品するのにも結構労力使うじゃないですか…。あのハードルのせいで、結局押し入れにしまったままになっていまいます…。良くない傾向…。
そして、使っていないけど、少しでも仕事に関わるものは取っておいてしまうっていうことないですか?私はよくあるんです。仕事に関係する道具たちって、もしかしたら使うかもしれないと思う気持ちが強い傾向にあると思うんですよ。
例えば服とかだったら、「もう着ないな」「もうダサいな」「トレンドと違うな」って思って結構すぐに諦めがつくんですけど、私の場合、仕事道具って「流行に左右されない」ものなんです。(これは職種によるかもだけど)だから、捨てどきがわからないんですよ。
ミニマルな生活ってある程度、新陳代謝が激しい職種、またはテクノロジーを使いこなしてものを減らせる職種じゃないと厳しいんじゃないかなと思っています。
ま、でもね、ものが多い部屋はどうしてもホコリも溜まるし、掃除も管理も大変になるので、絶対にいいことだらけなんですけど。
もう少し時間をかけて自分だけのミニマリスト哲学を作っていきたいと思います!
35歳で教員を辞めて 大学院に進学し 自分を取り戻した話 【答えはすでにあった】
私は、自分を取り戻すために教員を辞めて大学院に進学し、働き方を変えました。今では自分を取り戻しつつあります。私と一緒に現代という荒波を乗り越えていきましょう!
- はじめに
- 1 自分を見失わないために、自分を知ることから始める
- 2 自己啓発本を読んでも何も変わらない
- 3 海外に行くと見えてくるもの
- 4 アウトプットは未熟な自分を知る手段
- 5 優先すべきは生活
- 6 生活費用を見直すと、自由度が増す
- 7 友達は勝手に離れるし、勝手になっているもの
- 8 応援してくれる人は必ずいる
- 9 時代を乗り越えて残ったものからメッセージを受け取る
- 10 学び直しは人生を豊かにする
- 11 環境を変えることは自分を相対化させてくれる
- 12 生存に関係のない無駄が重要
- 13 食事で重要なのは栄養価と食える味
- 14 外見に気を使うことは自分を大切にしている証拠
- 15 辞めたいこと、残したいことで人生が充実してくる
- 16 肩書きにこだわり続けると自由には生きられない
- 17 自分のゴールと他人のゴールは違うと気づく
- おわりに
はじめに
本書を手に取ってくださりありがとうございます。この本は、35歳で教員(公務員)を退職し、ずっとやりたかった分野の学び直しを経て、現在では、複数の仕事をしながら芸術家として「ギリギリ生き延びている」(多分この表現が正しい気がする・・・)アラフォー独身男性が書いたものです。
安定した公務員を辞めて4年が経過しました。それまでは「公務員を辞めたら路頭に迷ってしまう、死んでしまう。絶対に辞めてはいけない」という呪いの言葉を自分自身にかけていましたが、この4年間、路頭に迷ってしまうことも、ましてや死んでしまうことなんて一切ありませんでした。今ではストレスフリーで、こうやって今までの経験を本にしながら、時々旅をして、展覧会も開きつつ、教育にも携わりながら、芸術と人生を楽しむ生活を送っています。
本書を手に取ってくれたということは、私の生き方に興味があるか、もしくは、このタイトルに関心を持ってくれているということだと思います。本書の根幹は、タイトルにもあるように「実は答えはすでに自分の中にある、また悩みの多くはすでに先人たちが答えを出してくれているから、その答えに勇気を持ってしっかり耳を傾けよう」という実体験に基づいた感覚です。公務員のときは、いかに自分をぞんざいに扱っていたかが分かりませんでした。こうして今仕事を辞め、働き方を変え、考え方を変え、行動を変えると、本来の自分が戻ってきたような感覚があります。拙い文章ではありますが、皆さまの生き方の参考になれば幸いです。
1 自分を見失わないために、自分を知ることから始める
・本当に今の仕事が合っているのか
人生100年と言われている現代に生きている私たちは、昔に比べて「仕事」と長い間向き合うことを強いられています。ですから、本当に今の仕事が自分に合っているのか、もっと合っている仕事がないか、常に考える必要があります。
今までは、大学を卒業し、仕事を決めたらずっとその仕事をするのが当たり前でした。しかし、現代では仕事を継続すること自体が難しくなっています。なぜなら、人生100年時代で、壁にもぶつかるだろうし、そもそもその仕事が社会から必要とされなくなる可能性も充分にありえるからです。現在あなたは「苦痛を伴う」「社会から必要とされなくなる」「充実感が得られない」ような仕事をしていませんか。もしそういう仕事をしているのなら今の仕事から抜け出すことをおすすめします。
「自分に合っている」仕事であれば、苦痛は伴わないはずです。たとえ社会から必要とされなくても自分でその仕事の意義を見出し、充実感を持って仕事にあたることができるはずです。もしそのような意義も見い出せないのであれば、一歩踏み出してみる勇気をもつことをおすすめします。
【私の場合】
職員室を見渡すと、輝いている先生と疲れ切っている先生がいます。最近では60歳で定年退職してから再任用教員ということで65歳頃まで働く先生もいます。
自分は、「65歳までこの仕事をやるのは厳しいな」と感じていました。体力が続かなかったり、また精神的に追い詰められたりして、休職したり辞めていったりする先生も何人も見てきました。さらに、昨今の社会情勢を見ていると、「このままだと80歳まで年金がもらえないとかありそうだな」とか「退職金はもっと減らされるのかな」など不安がよぎります。
生徒のニーズも多様化しており、現在の人員ですべてに対応することに疲弊もしていました。「自分に合わない仕事はストレスを生むだけだな・・・」そう思い退職を決意しました。
もちろん、輝いている先生も多数います。そういう先生は本当に教員という仕事を天職のように感じています。「教材研究が楽しい」「保護者と会話するのが楽しい」「もっと学校を良くしたい」「生徒や保護者に寄り添ってあげたい」・・・。男性・女性、年齢問わず素晴らしい先生というのは存在します。そういう先生の特徴は無理のない(教員本人は全く自覚していないですが・・・)愛情を相手に持っていることです。自然で嫌味もなく、話しているこちら側も笑顔になってしまうような・・・。こういう先生はまさに先生が「合っている」のです。私は愛情が欠けていたのかもしれません。自分には「現在、社会が求められている教員」という職業は合っていなかったのでしょう。
・自分の気持ちではなく、まずはデータやテストを使う
現状から一歩踏み出そうとする勇気があったとしても、多くの人は「果たして何から始めればいいのだろう」と悩むはずです。もともとやりたいことがある人はいいのですが、多くの人はやりたいことも、充実感を持てることも良くわかっていないのが現状でしょう。
では、なぜ自分のことなのにもかかわらず自分のやりたいことがわからないのでしょうか。それは、自分に対する解像度が非常に低いからです。新卒で会社に入る場合、自己分析をすると思いますが、「内定がほしい」という思いから、会社に合わせた自己分析をしている人が多い気がします・・・。
だから、どうしても「自分に合う」ものを選ぶことができないのです。自分に対する解像度は低く、質問に対しても、曖昧でふわふわした答えしか出せません。勇気を振り絞って一歩踏み出しても「自分探し」に終始してしまい、最終的に元の仕事に戻ってしまうのです。これでは全く意味がありません。重要なのは「自分の気持ちは自分では自覚できないし、わからない」と肝に銘じること、そして、「客観的データから自分を見つけ出すこと」です。
現在ではさまざまな自分の強みを知ることができるツールがあります。これらを活用することが自分を知る一番の近道です。そしてこの結果をもとに、自分という存在の解像度を上げることで、自分という存在が次第に理解できるようになるのです。そうすると進む方向性が見えてきます。
【私の場合】
私が最初にしたことは、自分の気持ちをノートに書き出すことでした。しかし、ほとんどの回答が曖昧で、結局何がしたいのか自分でもよくわからない状態でした。
「やりたいこと=旅行」とか「なりたいもの=イケメン、かっこよくなりたい」など「なぜ?」も「どういう風に?」もない具体性のない回答ばかりでした。中身のない回答では具体的な仕事もやりたいことも見えてきません。
そこで使ったのがストレングスファインダーです。本を購入し、質問に答えることで、自分の特性が見えてきます。私の場合「個別性」や「運命性」などが自分の特性だと知ることで、なぜ自分が教員に向いていないのかが理解できました。そして「だったらこの特性を活かす仕事はなんだろう」と考えることができたのです。
・信頼できる友人をつくる、そして相談する
みなさんには信頼できる友人がいますか。友人という存在はこれからの世の中を生きていく上で非常に重要な存在になります。なぜなら、現在、家族という存在が非常に希薄になりつつあるからです。大家族から核家族、そして核家族から個人への変化が顕著です。(この流れは近代化において自然な流れのようです。)また、家族や血の繋がりが悲惨な事件を起こしているのも事実でしょう。家族という存在が揺らぐ中で、友人という存在は「新たなサードプレイス」として機能するのです。
「孤独すぎること」は人間にとって耐えられないものです。「老人の孤独死」「中高年の居場所」「シングルマザー・ファザーの孤立」などは社会問題にもなっています。これからの世の中を生き抜いていくには、まず信頼できる友人を持つことが鍵になってくるに違いありません。しかし、そのような信頼できる友人はすぐにできるものではありません。じっくり、ゆっくり作っていくしか方法はありません。家族や恋人とは違う、何でも相談できる友人は人生の宝になるはずです。
すでにそのような人が周りにいるようであれば、その人に人生の相談をすることで糸口が見つかるかもしれません。友人というのは本来、利害関係がほとんどありませんからしっかり意見を言ってくれるはずです。もし言ってくれないようであれば、さらに関係を築く必要があるでしょう。(そのような関係になりそうにないのであれば縁がないということになります。)関係を築く上で重要なポイントは「お互いがお互いを尊敬しあえるか」「自分にない魅力をお互いが持っているか」の2点です。「自分を探すこと」と「信頼できる友人を探すこと」は人生を豊かにする上で大事なピースになるはずです。
【私の場合】
もともと友人は多い方ではありません。しかし交流を深めている友人は何人かいます。「狭く深く」の関係です。1人を紹介します。その友人との出会いは大学時代ですが、社会人になってからはほとんど連絡を取っていませんでした。久しぶりに再会し意気投合して現在でも交流が続いています。互いに相談をし、本音をぶつけ合える関係性です。本音をぶつけても崩れない関係というのは重要です。「逐一感情に振り回されない」という修行にもなります。友人の存在は私を鍛えてくれるのです。その友人とは今後も交流を続けたいと思っています。
2 自己啓発本を読んでも何も変わらない
・ハウツーはすぐに役に立たなくなる
本屋に行くと現代の問題を反映するかのように、多くのビジネス書が並んでいます。「新卒の社会人に向けられたもの」「中堅社員の悩みを汲み取ったもの」そして「ベテラン社員に向けた本」など、その数の多さに圧倒されます。しかし、多くのハウツー本は役に立ちません。なぜなら、ほとんどが筆者の実体験に基づくものであり、ほとんど再現性がないからです。もちろん筆者の方は事業やさまざまな分野で成功している方であり、大きな成果を残している方だと思われます。しかし、記載されているハウツーがすべての分野に応用できるわけではないのです。また本を読んで実践する方の状況も千差万別です。ほとんどの内容は参考になる程度で実践できるレベルにはないということを肝に銘じておくべきでしょう。ハウツー本は筆者の半生でどういうことを意識していたのかが分かる本であり、決して自分の血肉になる本だと思ってはなりません。
ということは、私のこの本もまさにハウツーを語ったもので「全く血肉にはならない本」だということです。(参考にはなるかもしれませんが、あなたの人生にそれほど影響力があるわけではありません。生き方は最終的には自分次第です。)ぜひ最後まで「適当に」読んでいただければと思います笑
【私の場合】
私自身も20代まではさまざまなビジネス本を読んでいました。教員として教育関係にいた私にとっては「教員の私にはもしかしたら役に立たないかもしれないけど、成功者たちはどう対処するのだろう」とか「民間で働いている人はきっといい解決方法を知っている」と思って本を購入していたような気がします。
今考えれば、フィールドが全く違うということを理解できますし、それをわかったうえで、どう自分の分野に落とし込めるかを考えることができそうですが、当時はそういうことを全く自覚、理解できていませんでしたので、「なんかすごいこと考えてる人がいるんだなー全くできそうにないけど」というほとんど中身のない感想しか持つことができませんでした。ビジネス書、自己啓発本はその人個人の体験談がベースになっているという特性を理解することが大切だと感じます。
・読んだほうがいい本は名著
名著と呼ばれる本があります。どの分野でも「名曲」「名画」「名言」など時を経ても色褪せないものがあります。時空を越えて語り継がれてきたそのような類のものは、なんともいえない説得力をもっています。もちろん、そのような名著と呼ばれるものも時代背景を背負っていますから、今日ではありえないような(コンプライアンス的にはタブーな)言葉や描写が含まれています。しかし、そこに含まれる主題・主張は現代社会においても一理あるものばかりです。
現代を生きる人にとっても、昔を生きる人にとっても悩みの種類はほとんど変わっていません。昔の人も人生に悩み、人間関係に悩み、恋に悩んでいるのです。私のような庶民がふと疑問に思ったことは大方昔の人が解決してくれています。
【私の場合】
心の拠り所になる名著は文庫本になっていることが多いです。岩波の文庫が並ぶ棚から一冊だけでいいので買ってみてください。私は新渡戸稲造の武士道に感銘を受けました。小説は夏目漱石が好きです。世間というものに絶望している様子に共感します。名著は文庫本になるので、文庫本になったものしか買わないという人もいるくらいです。文庫本はカバンの中にも入る大きさです。持ち運んで外で読むのもおすすめです。
3 海外に行くと見えてくるもの
・私のことを誰も知らない世界
海外は自分を孤独にさせる絶好の環境が揃っています。孤独は自分という存在を浮き彫りにしてくれます。自分を知るには絶好のチャンスなのです。「自分の常識が通じない」「言語が通じない」「誰も自分のことを知らない」「自分も目の前の人のことを全く知らない」この状況をどう捉えるかは人それぞれでしょう。ただ、この状況は自国にいたら絶対につくることのできない環境だということです。ここで病気になってしまったらどうしようと怯えるよりも、誰もあなたのことを知らないわけですから、やってみたいことをやってみればいいのです。海外に行ったことがなく不安だったら、まずは日本人が多く行く有名な観光地から攻めていけばいいのです。
【私の場合】
私にとって初めての海外は韓国でした。その後台湾、タイとアジアばかり行っています。アジアのいいところは、すぐに行けること、比較的治安がいいところです。日本人はすぐに日本人だとバレてしまいます。初めて韓国に行った時は、「とりあえず来たけど何をすればいいのだろう」という感じで(ほとんど何も計画を立てていませんでした・・・。)「結局自分はいつもいきあたりばったりだな」と反省したことを覚えています。これでは来た意味がない!と思い、日本人も集まる観光地を訪れ、トッポギを食べたり、焼き肉を食べたりと海外初心者なりの楽しみ方ができました。この韓国旅行が私の海外恐怖症を軽減させてくれました。そしてこの経験が今につながっているのは言うまでもありません。
・海外で旅をすると気づくこと
よく若者が「海外で自分探し」をすると言って海外に行く光景が見られます。私はこの言葉に違和感を覚えます。まるで海外に「自分」というお宝があってそれを探しにいくような・・・。私が海外に行って感じたことは「自分はどこにいても結局自分だ」ということです。
自分の思考や行動の癖は海外に行ったからといってそうそう変わるわけではありません。むしろ、海外で一人旅をするからこそ、自分の思考がより鮮明に浮かび上がってくるのです。「自分は綺麗好きなのだな」「ユニットバスって意外と問題ないな」「どこの国に行っても結局見たいと思うのは宗教関係の建物だな」海外に行くことは、自分がもともと持っていたのに気づかなかった思考や美意識を自覚させてくれます。新しい自分に出会うというよりは、もともとの自分と新しい感覚で出会うことができると言った方が的確でしょう。
【私の場合】
「キラキラしたものが好き」というのは以前から薄々気づいていましたが、各国の夜の風景をみることでその思いは確信に変わりました。繁華街の夜の風景は欲にまみれ、汚く見えるかもしれませんが、私には魅力的に見えます。街全体がギラついている感じが好きなのです。
「宗教的建造物」をみるのも好きです。またそこに潜んでいる思想や美意識を知ることも好きなようです。これは海外だけでなく、国内旅行をする上でも重要でした(あとから気づきました)。寺社仏閣を巡りどういう由来で建てられたのかを知ることが、自分の教養を深める上でも重視していることだと気づきました。(と同時に私は頭でっかちなのだということも気づけました・・・。)
4 アウトプットは未熟な自分を知る手段
・言葉が出てこないのはまだまだ知らないことだらけだから
人と会話をしている時に、言葉が出てこなかったり、文章を書いている時に、適切な言葉が思い浮かばなかったりすることがあります。これは「人に話す」「文章に起こしてみる」という「アウトプット」をするから気付くことです。私たちは、よく「インプット」をしてから「アウトプット」をしようとしますが、これではいつまで経ってもアウトプットができません。なぜならインプットは際限なく無限にできるからです。そして「アウトプット」は多少の勇気が必要です。言葉を世に出すことは批判や無視とセットです。この批判や無視を恐れていてはアウトプットはできません。ただただインプット地獄が続いてしまうだけです。
ですので、「自分の成長を願うなら」「自分の実力を客観的に知りたいなら」まずはじめに「アウトプット」から始めましょう。「アウトプットをするためにインプットをする」というアウトプットを高次においた考え方をすることで、アウトプットの量が増え、行動の数が増えていきます。
【私の場合】
自分が「アウトプット」できていたかと問われれば、全くできていませんでした。アウトプットは行動量にそのままつながります。行動がほとんどできていなかったのです。まさにインプット地獄でした。「まだ早い」「まだ人に言えるぐらいではない」という思いでずっとアウトプットをしてこなかったのです。しかし、これでは自分の成長につながりません。人に話してみたり、文章を書くことでようやく自分の知識や思考について客観視することができるのです。私の場合、退職してから大学院に行ったので、そのためにたくさんの書籍を読みました。しかし、読んでいるだけでアウトプットをしてこなかったのです。結局自分の考えがまとまらなかった印象があります。アウトプットの質は「訓練の回数」によって大きく変わります。恥ずかしがらずに回数を重ねていくことが重要だと思います。
5 優先すべきは生活
・「仕事」と「生活」と切り離す
「この日は仕事だから、予定が合わせられない」と言えば大体の人は「仕方ないね」と納得してしまう。友人との約束の予定も、家族との予定も「その日仕事が入って」と言えば大体の人は「そうだね、仕方ないね」と許してしまいます。人生において、多くの先輩方が死ぬ間際にあれほど「仕事よりも大切なことがあった」と後悔の言葉を残しているにもかかわらず、私たちは未だに「仕事」という言葉に惑わされ続けています。仕事で得た人間関係や達成感は素晴らしいものですが、人生最期の時に思い出したいことは「仕事」についてでしょうか。私たちはどうしても仕事を生活の延長線上に置きがちです。生活と仕事を切り離すという考えを持つことが苦手なようです。「生活をするために働く」という概念は「生活」をより上位の概念にしているにも関わらず、仕事を優先してしまう人が多いようです。人生は有限です。仕事が生きがいで、仕事以外にやることがない人はそれでいいのですが、あのスティーブ・ジョブズでさえ、死に際に仕事をしすぎたことについて後悔の念を残しています。ジョブズのように天職を持っていた天才でさえ後悔するわけですから、凡人はきっちりと仕事と生活(プライベート)を分けた上で人生を謳歌すべきでしょう。
【私の場合】
前職は教員でしたので、土日祝日は部活動と課外授業に明け暮れていました。まさに仕事と生活に境目がないような、ずっと仕事をし続けているような状態でした。もちろん、それなりに充実感はあるのですが、人生を謳歌できていたかと言われれば、甚だ疑問です。常に「生徒のため」「保護者のため」に働いていた状態でしたので、心が休まる時間はなかったように思います。現在では働き方を変え、非常勤講師という形で教育には携わっています。もともと授業を組み立てるのは好きでしたし、授業案を練ることで、生徒の反応が変わることを実感していたので、そこについて注力できる今の働き方は自分に合っていると感じています。(もちろん収入はガタ落ちなのですが、ストレスはほぼありません。心の病になることはなさそうです。)
・人間の基本は衣食住
「着る服」「食べ物」「住むところ」は人間が社会生活を営む上での基本中の基本です。現代はものは十分に溢れており、さらに多くのことがインターネットを介すことで、利便性が向上しました。このような利便性を活かしながら社会生活を送ることで、私たちの生活は格段に質が向上します。
しかし、利便性が向上しても、本質は変わりません。着る服には清潔であることが求められていますし、食事にはバランスが求められます。いくら代替可能なものが世の中に溢れているといっても、ストレスがかかるような居住スペースでは生活の質が下がってしまいます。衣食住には自分が求める基準を明確にしておく必要がありそうです。重要なのは、自分自身が衣食住に関して「ストレスを感じない」こと、そして「持続可能」なことです。他人からの視線ではなく、自分の判断基準で最低ラインを持っていることで自ずと理想的な衣食住に近づくことができます。
【私の場合】
私の衣食住も「必要最低限」「持続可能」がモットーです。必要以上のもの、ハイブランド、こだわりの古着などを着こなすことは、凡人にとっては難しいですし、ハイブランドのものを管理するのも大変です。しかもハイブランドのものが傷んだときのショックは大きいです。ですので、私の場合ファストブランドしか着ません。ハイブランドのものはどうしても購入費と維持費がかかります。これは人生において大きな負担です。衣食住というのは生きている間はずっと必要なものですから、できるだけ良質で安価なものを購入する必要があります。衣については、ファストブランドを、食については自炊で栄養価の高い食材を、住については安心して眠れることが第一条件です。住宅は家族構成や現在の収入、職場との距離など検討する項目が多くなります。じっくり考えながらも総合的に判断してください。私は家賃激安、駅チカ、小さな部屋で十分ということで現在収入の2割にも満たない金額の物件に住んでいます。おかげさまでどんどんとミニマリストになっています。
6 生活費用を見直すと、自由度が増す
・だんだんミニマリストになる
ミニマルな暮らしは生活を豊かにすると言われています。ものが減ると空間に余白ができるわけですが、なぜか、この空間の余白が人生の余白にまで影響を及ぼしているようです。寺社仏閣に行くとそのスッキリとした空間に引き込まれそうになります。お寺や神社に流れている時間はゆっくりとしているように感じます。空間の余白が時間の余白まで生み出している、そんな感覚です。視覚と聴覚、空間認識能力はすべて連動しているのかもしれません。
【私の場合】
小さな部屋に引っ越し、収納も少ないため、モノは必然的に減らさなくてはなりません。服に関してはどんどん減らしていくことで押入れやクローゼットを収納として広く使えるので、まず服をミニマルにしていくことをおすすめします。それから本棚を整理すると良いと思います。本棚は自分の趣味嗜好が現れる聖域でもあります。自分の趣味嗜好をブラッシュアップしていくという意味でも本棚をメンテナンスすることは大切です。不要になった本は、友人に譲って布教活動するのもいいですし、ネットフリマで売ってもOKです。誰かの役に立たせることでモノが循環していくのであれば、これ以上の社会貢献はありません。
・ネットをフル活用すると、人生が楽になる
現代では、ほとんどのことがネットの中で完結できるようになりました。現在書いているこの原稿もバスの中でスマホに打ち込んでいるだけです。筆記用具を用意せずとも書くことができる世の中なのです。スマホ1つで何でもできてしまう時代ですから、生活を便利にすることなんて簡単にできるわけです。重要なのは毛嫌いせずに、その機器や機能を使おうとしてみること。私の母も高齢者の仲間入りをする年齢ですが、最近Instagramを始めたそうです。とても楽しそうに趣味を発信しています。ある意味では、挑戦した時点で生活が楽になっていきます。もし、そのテクノロジーが自分に合っていなかったら、使用を停止すればいいだけです。一番問題なのは、何もテクノロジーを使わずに、時間や労力を搾取され続けることです。
【私の場合】
ネットを利用することで人生が楽になったと感じることに、銀行にいかなくていいというものがあります。以前は現金を下ろすのも、振込をするのもわざわざ銀行に行く、またはATMに行っていました。しかし今ではそれをしなくてもいい。しかもネット銀行の多くは、回数制限などはあるものの、ほとんど無料で現金を引き出したり、振込をしたりすることができます。こんなことは現代において当たり前のことですし、多くの人が知っていることなのかもしれませんが、多くの人が未だに地銀を使っている現実があります。それから携帯電話。私は高校生の時に親に契約してもらった携帯会社を使っていました。携帯電話というものがどういうものなのか知らなかった私は、「携帯電話=ショップに行って買うもの」と思い込んでいたのです。スマホの機種と回線が別で売られていることや、Wi-Fiを使うことである程度の通信制限がなくなることなど、全く知りませんでした。今では娯楽もショッピングも趣味も何もかもがネットを駆使することで生活が楽になったと考えています。
7 友達は勝手に離れるし、勝手になっているもの
・友達は勝手になっているもの
人生における各年齢でその時々にあった友人というものはできるものです。小学校、中学校、高等学校、大学、社会人・・・各ステージにおいて友人は仕組まれたメンバーの中から関係を構築していくことになります。重要なのは、友人という存在を損得勘定で選んではいけないということです。友人は「知らないうちになっているもの」で、「友人になるという契約を結ぼう」としてなっているものではないということです。中には、そのようなビジネス感覚で友人を作っている人もいるかも知れません。しかし本当の友人はキャッチボールしているだけで楽しいのです。本当の友達はコーヒー飲んでいるだけで楽しいのです。ひろゆきさんとヒゲオヤジさんは、きっと話しているだけで楽しいのです。くだらないどうでもいい会話が人生を豊かにしてくれるということに気づかなければなりません。
【私の場合】
一緒に旅に行く友人がいます。旅というのは、人の本性をさらけ出すもので、一緒に旅にいける友人というのは相当気を許している、または気を使わなくていい関係だと言えます。私にもそのような友人がいるのですが、そういう友人に出会うには時間が必要です。すぐにできるわけではありません。友情は、即席で作れるものではないのです。恋愛とは違う気長さが必要になります。友人というのはいなくても生きていけますが、いることで圧倒的に人生が豊かになります。私の場合、一人の時間も必要なタイプの人間なのですが、そのことも理解してくれる友人には感謝です。
・離れていったものは追わない
離れていく友人は追うべきではありません。もしまだ縁が続いているのであれば、いずれまた出会うときが来るはずです。と言ってもそういう人が戻ってくることはほとんどありません。離れていく友人を見て悲しくなったり寂しくなったりすることがありますが、人間には付き合う人数のキャパがあります。多すぎる友人がいてもその人たち全員と深い関係になることは不可能です。離れていく友人がいたら、「この人が新しいご縁を運んでくれるんだ」と思うようにしましょう。
【私の場合】
友人というのは目的がなくても、会話がなくても、自然体の自分をさらけ出しても一緒にいてくれる人です。私にもそのような友人がいるのですが、その友人は他県に住んでおり、直接対面することはほとんどありません。しかし現代における文明の利器(オンライン会議ツール)を使い、月に何回か人生について語り合っています。オンライン会議をする際には、一応何について話すかみたいなことを事前に共有しておくのですが、それについてしっかり話し合ったことなどほとんどありません。結局目的もなく、ダラダラと話しているだけなのです。しかしこのオンライン通話がストレス発散になっていることは言うまでもありません。さて、この友人、実は大学時代からの知り合いなのですが大学時代はここまで深い関係ではありませんでした。社会人になってしかも10年以上経過してから、ふとしたきっかけで交流を深め現在に至っています。今、友人がいないと嘆いている人もいるかと思います。しかし縁というものはいつ巡ってくるかわかりません。気長に待つことも大切です。
8 応援してくれる人は必ずいる
・批判する人も応援する人も必ずいる
批判はとても怖いものです。自分のことを否定されているように感じてしまいますし、傷つけられてしまった感じもしてしまいます。しかし、批判をしてくる人がいる一方で必ず応援してくれる人もいるということを忘れてはなりません。どんなyoutuberでも否定派と肯定派がいるように、批判してくる人もいれば応援してくれる人もいるのです。私たち現世の人間が耳を傾けるべきなのは圧倒的に応援してくれる人です。しかし、多くの人が否定派(アンチ)の言葉に傷つき、最悪な方向へと進んでしまいます。本来であれば応援してくれる人の言葉を大切にしなければなりません。困ったことに応援してくれる人は大変静かです。応援してくれていることをほとんど言葉には出してくれません。本当に厄介で困ったものです。しかし、私たちが心に留めて置かなければならないのは、「応援してくれる人は必ずいる」ということです。そして、誰もが誰かの役に立っているということでしょう。安易に批判的な人々の言葉に惑わされず、自分のすべきことを遂行していきましょう。
【私の場合】
教員を辞める際に、多くの方々に批判の言葉をいただきました(中には本当に私のことを思って言葉をかけてくれた方々もいました)。しかし、そういう人はそもそも「私との距離が中程度」の人が多かったように思います。公務員という肩書を捨てることに対して不安を煽ってきたり、安定した収入がなくなることの恐怖感を煽ったりする人もいましたが、「私との距離が近い人(私の近くで私をいつも見てくれていた人)」は「いいと思う」「あなたらしい選択だと思う」と前向きな言葉をかけてくれました。私のことをずっとそばで見てくれている人は、私のことをよく理解してくれているのです。今では、インターネットが発達し有名人の少しの失言が炎上してしまう世の中ですが、炎上を盛り上げている人は、その人と親しい人なのでしょうか。ほとんどがその人のことを知らないのではないでしょうか。発言していることがほとんどです。私たちが大切にすべきなのは、近くで応援してくれている人なはずです。
・好かれようなんて思っている時点で苦痛を招く
人から好かれたからといって人生が好転するわけではありません。好かれるための努力をして疲弊していく人は多いようです。もちろん、仕事の場面で取引先の機嫌を損ねないようなマナー的なものはビジネスにおいて必須のスキルです。しかし、プライベートの場面で好かれようとするのは本心を見えなくし、自分を疲弊させるだけです。プライベートの自分は自分で守らなくてはなりません。
【私の場合】
もともと人から好かれようと思って生きてはいないのですが、恋愛の場面になると、なかなか自分の素を出すことでご縁に繋がらないのでは、と自分を隠してしまうことがあります。しかし、いつも友人に言われるのは、「素のあなたの方がモテると思うよ」という言葉です。どうやら、私も含め多くの人が恋愛でうまくいかないのは素の自分を出していないからのようです。どうしても好きな人やタイプの人がいると自分を隠してしまうのが人間のようです。ただ、予想がついてしまいますが、素を隠して付き合い始めるといつか綻びが出てきてしまいます。好かれようと思ってしまっている時点で、その恋は終わりを迎えているということを自覚したほうがいいようです。媚びない、自分の信念に従って生きている人はなぜか魅力的に見えます。相手に合わせるのではなく、自分の軸で生きることが結局、好かれる自分に近づく近道なのです。
9 時代を乗り越えて残ったものからメッセージを受け取る
・芸術は人生に深みを与えてくれる
芸術の分野では、常に新しいものが生まれます。しかしそれと同時に多くのものが忘れ去られていきます。時代を超えて生き残っているものは、それ相当の価値があるから生き残っているのでしょう。現代は、インターネットのおかげで様々なものがより早く受け取られ、より早く消費される世の中になってしまいました。特にSNSの世界は短いショート動画が量産され、そして消費されすぐに飽きられてしまいます。深い感動や、突き動かされる衝動もなく、日々を過ごしていたのは私だけではないはずです。芸術分野には、時代を超えてもなお輝いている作品があります。絵画、映画、文学、陶芸、書、演劇、音楽などは、さまざまな人から研究され、批評されながら今日まで生き残っているのです。さまざまな目にさらされているのにも関わらず、今日まで生き残っているのには理由があるはずです。その作品の良さに気づくことは、人生に深みを与えます。
【私の場合】
もともと芸術は好きでした。音楽、絵画などに今でも親しんでいます。芸術を楽しむためには、「創作すること」と「鑑賞すること」が重要です。「自分は芸術家ではないから」と創作することを諦めてしまうのはすごくもったいないこと。芸術に取り組むのに上手い下手は関係ありません。大事なのは「自分の手で創作すること」であって「うまくなること」ではないのです。私もヘタなりに音楽をつづけ、ヘタなりに書に親しんでいます。自分の人生ですから、自分のペースでいいのです。創作ができると、今度は巨匠たちはどうしているのだろうと興味が湧いてきます。今では、インターネット上にたくさんの有用なコンテンツがありますので、巨匠の技を盗み放題です。できれば、生で巨匠たちの技を見るのが一番でしょう。そこで大いに「鑑賞」(=味わう)してほしいのです。「この作曲者は何を思ってこの曲を書いたのだろう」そして「この指揮者はこの曲をどう解釈したのだろう」「この絵はなんかほかの絵と違う気がするなんだろう」「この作品にタイトルを付けるとしたらなんというタイトルだろう」芸術を鑑賞することは昔と対話することです。そこで得た発見や気づきは、自分の血肉になるでしょう。
10 学び直しは人生を豊かにする
・年齢は学びの深さを手助けする
「中年から学んでも学びが浅くなってしまうのではないか」よくある心配だと思います。しかし、「中年から学び直したからこそ学びが深くなることもある」ということを皆さんに伝えておきます。中年というのは、30代〜40代くらいを想定しています。ある程度社会に揉まれ、自分の力量を知り、上には上がいることや、努力の仕方や人との距離感についても心得た年代だと思います。この年代における学びの理解力や対応力は学生時代に比べて飛躍的に高いと思われます。若い時というのは、「なぜこの学びが必要なのか」「この学びがどうつながっているのか」ということについてほとんど考えたことがない人が多いのではないでしょうか。現代における大学は就職予備校と化している部分も否定できません。しかしある程度社会人を経験してきた中年の方々であれば、「なぜこれを研究したいのか」「この研究がどうつながっていくのか」「なぜこの研究がこの時代において有意義なのか」ということを深く考えられるのです。(なぜなら、こういう作業を組織で散々やっているはずですから・・・)もしかしたら「もう学ぶのには遅いかもしれない」と思っている人もいるかも知れません。私は逆だと思います。中年だからこそ、学ぶスキルが上がった今だからこそ、学び直しが重要で、周りと差をつける方法なのです。年齢に応じた経験は、学びを深める助けになってくれるのです。
【私の場合】
私は、前職を退職しすぐに大学院に行きました。もちろん、大学院に行く費用も生活費も自分の今までの稼ぎから出すので、入学金も授業料も重みが違います。そして在学時に一番感じたのは、学部生だった時との「学ぶ意欲の差」です。大学院は基本的に「研究計画書」を入学願書と一緒に提出します。入学が決まった時点で、なんのために大学院にいくのかがはっきりしており、また2年間で修了を目指すということもあって、やる気が段違いでした。また授業の理解度も違いました。私はもともと教育学部出身なのですが、実際に教育現場で13年間働いていたので、現代の学校教育における課題などがよくわかります。大学院では芸術教育について学んでいたので、「学校教育における芸術教育がどうあるべきか」などはこれまでの経験も踏まえて、容易に方向性を持ったレポートが書けました。これはストレートで大学院生になった場合にはできないことだと思います。社会人を何年もやっていると、教授との話し合いもスムーズになります。大人の対応をお互いができるので、研究も協力的にサポートしていただけました。年齢を重ねることは、学びにとって不利だと考える人も多いですが、私の経験から考えるに、それは本気で学び直しをしたことがない人なのではないでしょうか。学びは社会に揉まれた経験があることで、一気に加速すると思います。「一事が万事」、社会人としての蓄積された経験がすべての学びにつながっていることを忘れてはなりません。
・学びたいことはずっと心に引っかかっていたこと
「幼少期にハマっていたこと」はなんでしょうか。また「前から気になっていたけど手を付けていないこと」はなんでしょうか。「本当はやってみたいと思っていたけど、できなかったこと」は意外と覚えているものです。今やらずに後悔はしませんか?自分が死ぬ際に「やっぱりやっておけばよかった」と後悔するくらいなら今すぐに行動をしたほうがいいです。自分のために自分の時間を使うのは当たり前のことです。あなたの人生の主導権を握っているのはあなたです。人が後悔をする時は、決まって人生の後半です。そして「若いときにやりたかったことがあった」という事実が、「実は貴重で尊いものだった」と気づくのも人生の後半です。やりたかったことがある、やりたいことがあるというのは非常に素晴らしいことです。今すぐそれに取り組み始める段取りをつけましょう。
【私の場合】
私の心の奥底に眠っていたのは、「芸術家やアーティストなど自分でなにかを生み出す人への憧れ」です。こうやって本を書いていることもその何かを生み出す人への憧れだったのでしょう。私が教員を退職し、大学院で専門的に学んだのは芸術教育の分野です。自分自身も芸術家のようになりたいという思いもありましたが、芸術家をどう育てていくかということにも非常に興味がありました。今では、自分自身もグループ展に参加したり、SNSを使い作品を世に発信しています。また学校教育にも携わっており、まさに自分が思っていた未来を引き寄せることができたと感じています。
11 環境を変えることは自分を相対化させてくれる
・生きていけるのであれば場所はどこでもいいと割り切る
ミニマリストを極めていくとだんだんと、身の回りにあるほとんどのものがあまり自分の人生に必要ないということに気づきます。その中でも私が不要だと感じたのは「〇〇(場所の名前)に住んでいる」という謎の肩書です。(これを肩書と言うのかわかりませんが、私の友人はそこに住んでいることを誇っていました・・・。)どこに住んでいるからすごいとか、その地域に住んでいると箔が付くみたいな考え方は、ある一部の界隈の方々の話題であって多くの人間にとってはほとんど意味を成しません。私は、最終的には、「言語が通じて、仕事が多少あって、雨風をしのぐアパートがあればいいな。」という感覚になってきます。そうなると地域は正直どこでもいいのです。地域には地域の美味しいもの、文化があります。その地域を楽しめばいいのです。言語が通じれば大体どこでも住めます。
【私の場合】
私は現在、とあるトカイナカ(都会と田舎の中間)の超激安・超狭小物件に住んでいます。特にスペースも要らないので、自分にはこれで十分かなと思っています。駅には15分くらい歩かないといけないのですが、歩くことが健康に非常に良いということを知ってから、むしろ最寄り駅から遠い方が強制的に歩けるなと感じているくらいです。友人とワイワイできるようなスペースはありませんが、そこまで友人も多くないので快適に過ごすことができます。私の出身は北国です。現在は西日本に住んでいるのですが、現在の家賃のような物件は田舎にはありませんでした。(逆に田舎の方が選択肢が少なく、家賃もそれなりに高かったです)ですので、今住んでいるところが自分にとって適切かどうかは実際に住んで比較してみないとわかりません。そして人は住み始めてしまえば大体どこでも生きていけます。この感覚を身につけることが重要です。
・環境を変えることは人間関係を変えること
私は退職を機に、とある地方からとある地方に出てきました。詳細は省きますが、東日本から西日本に移動してきました。働き方も変わったわけですが、このような環境の変化は人間関係の変化をもたらします。今までは、職場の同僚とばかりつるみ「職場の愚痴」を言っていただけでした。しかし、今ではそのような関係はなくなり、プライベートで飲む友人が増え、次の仕事のアイディアやネタの提供をしてもらったり、新たな人間関係を構築したり、充実した飲み会になっています。以前の「職場の愚痴飲み会」も楽しかったのですが、ほとんどが「言ったところで解決できない」ものばかりでしたので、ただのストレス発散の場でしかありませんでした。環境と人間関係はリンクしています。まずは環境(土地、働き方)を変えることを優先することで理想の人間関係が作れると思います。
12 生存に関係のない無駄が重要
・無駄は視野を広くする
世の中は無駄で溢れています。生きることとは直接関係ないにもかかわらず、私たちはその無駄に囲まれながら生きています。なぜ現代人は服を着るのか、なぜ現代人はギャンブルにハマるのか、なぜ現代人はより美味しいものを食べたいと思うのか。これらのことは、生存という観点からは無視していいものです。しかし、現代人は無駄を捨て去ることをしません。なぜなら無駄が自分の視野を広げ、人生を豊かにするからです。
【私の場合】
私の生活の中で最も生存にかかわらない行動は創造活動です。「作品制作」「物書き」など金にならない無駄をこれでもかとやっています。最低限の収入は他で確保し、あとはほとんど無駄な活動に費やしているのです。友人との会話も突き詰めれば無駄になるかもしれません。しかし、友人らから手に入れた情報は、生存には関わらなくても私の人生の彩りには関わる事項なのです。芸術に関わることは全くお金にならないにも関わらず、自然と没頭でき、リフレッシュにもなります。作品という形で残すことで自分の人生の足跡を残すことも可能です。人生の彩りは無駄なことからしか生まれません。無駄を大いに楽しむことが人生の豊かさになるのです。友人との食事や旅行、創作活動、一人旅、自分のための読書などは、自分が死ぬ時に必ず思い出すはずです。無駄から学ぶ人生を送りたいものです。
・芸術はデジタルデトックスにつながる
現代におけるパソコンやスマートフォンは、ドラえもんの四次元ポケットのように私たちの生活を便利にしてくれます。しかし便利すぎる反面、私たちを縛り付け自由を奪っているのも事実です。私たちが再び自由になるためには、現代にあるものではなく、昔からあったものに目を向ける必要がありそうです。昔からあったものは、長年私たちの目を楽しませ、想像を膨らませ、精神世界を豊かにしてきてくれたものです。そうでなければ現代まで残っているはずがないのです。日々、SNSや動画サイトのコンテンツをただただ消費するのではなく、芸術や自然に触れ、自分なりにそれらと向き合い、新たな価値や意味を見出すことで、私たちは現代の不自由から逃れられるのではないでしょうか。
【私の場合】
絵画、建築、文学、音楽・・・。芸術と言ってもさまざまです。私は音楽や文学が好きでした。楽譜を読むとさまざまなことがわかります。「作曲者はどこ出身なのか」「その国はどんな景色なのか」「何語を使っているのか」・・・。譜面からだけでなく、その背景や周辺を調べたり、考えたりすることで音楽に対する理解が深まってきます。
現代において、スマートフォンとの付き合い方は喫緊の課題といえます。多くの若者が知らず知らずのうちにスマートフォンを使い、時間を溶かしています。その多くの時間は何かを生み出しているわけではありません。ほとんど中身のない、数十秒の動画で何かが得られるわけではないのです。貴重な人生の時間を無駄に過ごさないためにも、私たちが目を向ける目を向けるべきなのは、昔からあった芸術の数々なのです。
13 食事で重要なのは栄養価と食える味
・まずい飯を恥ずかしく思わない
自炊は社会人にとって武器であると同時に戦わなければならない1つの試練です。若い方にとっては節約術の1つにもなりえますし、歳を取ればできるだけヘルシーなものを食べなくてはいけない(というかヘルシーなものしか食えなくなってくる・・・)わけで、その際、自炊ができるということは強力な武器となりわけです。しかし自炊が苦手という人も多いのではないでしょうか。自炊が苦手というのは、ほとんどの場合「自炊=外食レベルの料理」もしくは「自炊=実家の手料理」を想像しているからだと思います。断言しますが実家の手料理も外食レベルの料理も自炊では必要ありません。自分の中で自炊のハードルを上げまくって料理に挑戦しないのはもったいないです。人間の生活は衣食住から成り立っています。食事については、食べられればそれでいいのです。なにも誰かに振る舞うわけでもないのに、豪勢にする必要はないのです。栄養がしっかりある食材を買って食えばいいのです。
【私の場合】
私は自炊が非常に苦手です。しかし食事は人間生活の中で重要な要素。蔑ろにしてはいけませんが、気合いを入れすぎても駄目です。結局長続きしません。大事なのは自分にとって持続可能な自炊です。はっきり言いますが、私は「自炊」と言いながらほとんど作っていません。私の場合は・米を炊く・漬物・魚の缶詰・具沢山の味噌汁・納豆・ヨーグルト・豆腐をメインにして、そこにプラスアルファ(卵料理、キノコ料理、サラダなどなど)するぐらいです。味噌汁に関しても、インスタントの味噌汁を購入し、そこに高野豆腐や冷凍された里芋やオクラを入れたり(電子レンジで解凍してから)、春雨、切り干し大根などの乾燥ものをいれるだけです。包丁やまな板はめったに出しません。ほとんどキッチンバサミです。このように、自炊に対するハードルをぐっと下げると持続可能な自炊に近づいてきます。重要なのは、自分にとって続けられるかどうかです。時々、節約系YouTuberさんが、「麻婆豆腐の素すら買うな、あれは無駄、値段が高い」みたいな発信をされていますが、私には合いませんでした。調味料を揃える、かつ管理するのが面倒なのです。私が自炊を続けられているのは、いい感じの手抜きと時々使用する「〇〇の素」への依存があるからだと考えています。
14 外見に気を使うことは自分を大切にしている証拠
・外見は自分にとっても相手にとっても大事
第一印象はさまざまな場面で重視されます。自分の像を自分で演出することは非常に重要です。自分のことを外見からなんとなく想像してもらうことで相手との関係もスムーズになります。ですから「外見で判断するな」と言う前にまず自分の外見を磨き、外見と中身の一致を目指しましょう。外見を変えようとすることは、生活が変わることにほかなりません。なぜなら、行動が変わることで外見が変わっていくからです。食事に気を遣うのも、運動に積極的に励むのも、男性であれば1ヶ月から1ヶ月半くらいのペースで散髪に行くのも、すべて行動から始まるのです。そのためにはあらかじめ予定を決めたり、自分に合う理髪店や美容院を探しに行くなどのアクションが伴います。外見という言葉は時に重視すべき対象から外されそうになりますが、外見を気にすることは、自分にとってもプラスに働きます。そして相手にも失礼のない状況を作れるので、WIN‐WINなのです。
【私の場合】
いつも同じ髪型だった私は、ある時思い切って同世代の方がやっている、個人経営の美容院に行きました。正直にいうと最近薄毛に悩んでおりまして、そのこともお伝えしました。今までは、薄毛を隠すようなスタイルにしていたのですが、その美容師さんは、見せたほうが目立ちませんよと提案され、あれよあれよと言う間に髪型が決まってしまいました。切り終わってびっくり!めちゃくちゃ似合っていたのです。それから、何度か通い、その髪型にも飽きてきた頃、そのことをまた美容師さんに正直に伝えました。すると、「次はパーマかけましょう」と提案されました。今までパーマなんてかけたことがありませんので、またまたびっくり・・・。しかし、かけてみたらこれまた似合っていたのです!「これもありだな。自分にはパーマなんて似合わないと思っていたのに・・・」嬉しかったです。私のように髪型に自信がなかったり、似合う髪型がわからない人は美容師さんにおまかせするのがおすすめです。私はオーダーするとき必ず「今よりイケメンにしてください」というようにしています。最初は気恥ずかしかったのですが、今では当然のようにお願いしています。わからない時は結局プロにお願いするのが一番です。
・外見に気を使うことは健康につながる
アラフォーのかっこよさや色気が何から作られるのかを考えた時、外面からだけでなく、内面から出てくるものだと気づきました。若い時はファッションやアクセサリーなどの装飾品も重要ですが、アラフォーは適切な食事、適切な運動、適切な睡眠、適切なリフレッシュ、適切な教養・・・などが重要になってきます。突き詰めてしまえば、アラフォーに必要なのは「健全な肉体と精神」であって、この「健全な肉体と精神」がアラフォーのかっこよさと色気を作っていると言っても過言ではありません。若い時には無理することがかっこいいという雰囲気さえありましたが、アラフォーは食事に気をつけ、適度にジムに行き、ある程度の余裕があることが求められます。そしてそれはそのまま「健康」につながるのです。アラフォーにとって「かっこよさ」と「健康」は密接に関わっています。健康的なアラフォーを目指すことが素敵なアラフィフを作る土台となるはずです。
【私の場合】
運動をしたことがない私は、家で筋トレをして腰を痛めました。なんとも恥ずかしい話なのですが、これが現実です。そこで私は「そもそも腹筋をしようとしただけで腰を痛めるのはさすがにやばいのでは?」と思い、2ヶ月間だけパーソナルジムに行きました。できるだけ家から近くで、安いところに行ったのですが、これが私にとっては転機になりました。私の場合、反り腰、巻き肩の状態で筋トレをしていたためうまくいかなかったことが判明したのです。「家でやる場合は足を丸めて腹筋をしてください」「まずはストレッチから始めてください」など、普通の人なら分かる非常にレベルの低いことをトレーナーさんは私に丁寧に教えてくださいました。本当にありがとうございました。今ではジムに通い、健康な体を目指しています。食事については、公務員時代、激務のせいで毎晩のようにコンビニ弁当を食べていました。今では考えられないのですが、よくあんなものを毎日食べていたなとゾッとしてしまいます。現在の私の食事は至ってシンプルです。料理は得意ではないので、栄養価の高い食材を買ってきて、鍋にするとか、切って炒めるといった感じです。味付けは適当でも十分食べれます。味噌汁には具材をたくさん入れるだけで栄養も取れます。和食に感謝です。私は公務員時代、栄養が足りていませんでした。体重も少なくガリガリ体型でしたが、このような生活に変わっただけで、適正体重になることができました。外見に気を使うことがゴールではないですが、「健康を目指すこと」と「外見の良さを気にすること」は同じ方向性を持った行為なんだということを忘れてはなりません。
15 辞めたいこと、残したいことで人生が充実してくる
・価値観の整理は定期的に
価値観は歳とともに変わります。年齢を重ねてくると今まで持っていた価値観がアップデートされていきます。重要なのは、その「変化を受け入れること」です。この変化を受け入れられない人はいつまでも昔の価値観に引きずられたまま、何も変わらず一生を終えることになります。今まで自分の状態を顧みずに無我夢中で仕事をしていたのに、結婚し家庭ができたことで、価値観が一変することなどはよくあることです。「今の自分」にとって重要なことはなにかを考えてください。大切にしたいこと、守りたいことは常に変わっていきます。
【私の場合】
「やりたいことがあるものの、自分の心と体がついていかない」という状態は、自分の大切な価値観を無視していた状態だったのかな、と今では反省しています。私の場合「もっと自由な働き方をしてみたい」「もっと芸術作品を作りたい」「もっと芸術の勉強してみたい」とは思うものの「もうこの歳では遅いよな」「公務員を捨てるのって普通じゃないよな」と結局自分の中に潜む1番大事な価値観を無視して、現状維持を数年続けていました。
人は本心では「自分の価値観を大切にした人生に変わりたい」と思うものの、本能的に「現状のままでも満足できているはずだ」と暗示をかけているようです。そしてこの矛盾が、中高年にかけて葛藤の種となり、悶々とした日々を過ごす原因になっているのではないでしょうか。私は「現状に満足していないから、こういうことに悩むんだな。本当はやりたいと思っているし、やらなかったら後悔するんだろうな」ということを数年かけて(5年くらいかかったと思います)受け入れていきました。正直このような自分自身を受け入れていく作業は結構苦しいものでした。なぜなら「自分の心の奥底にしまっていたイキイキした自分」は、「社会人を10年以上経験した世間体大事おじさん」にとって、不要なものと思いたい存在だったからです。しかし、一歩踏み出すと世界は一気に変わってくるものです。応援してくれる人も増え、今ではこうやって文章を書き、本も出版しようとしています。大事なのは自分の価値観にケチをつけないこと、批判しないこと、そして受け入れていく器の大きい人間になることです。
・一気にやると疲れるから長期、分散、継続
「学び直し」「リスキリング」「自分探し」など、現在では様々な言葉で「自分のやりたいこと」をすることが善であるようにあちこちで語られています(私もそこに異論はありません)。しかし、これを一気にやろうとすると疲れてしまいます(私も一気にやろうとして何度挫折したことか・・・)。重要なのは、これらのことを「持続可能」な状態で絶えずアップデートしていくことです。この「持続可能」という概念は人生においても非常に重要です。なぜなら「持続不可能」な状態になってしまったら、それは「死」を意味するからです。「持続不可能な働き方」「持続不可能な子育て」「持続不可能に陥らせる依存症」など、世の中には、様々な持続可能を阻害する要因が散らばっています。ですから、長期的に、分散して、継続していくことをおすすめします。インデックス投資の投資手法のような考え方ですが、人生はまさにインデックス投資です。すぐに行動できてしまう人もいるとは思いますが、この本を読んでくださっている人は、今、「自分の人生を変えたいとは思っているものの、なかなか変えられなくて困っている、悩んでいる人」だと思います。ですので、まずは今の人生がこれから「持続可能なのか」を検討してみてください。もし「持続可能ではない」と判断したら「長期にわたって人生をどうしたいのか」「そのためには自分の能力をどう分散すればいいのか」そして「それを継続するためにはどうすればいいのか」を考えてみてください。
【私の場合】
私は前職で教員をやっていました。報道でも知られているように、現在の教員を取り巻く環境はかなりブラックだったように思います。まさに「持続不可能」な状態でした。そこで私は、まず自分の人生を長期的な視点で見直しました。そこで出た結論は「細くてもいいから長く、死ぬ直前までできることを仕事にしたい」ということでした。そしてそのような仕事を手に入れるためには「もう一度学び直しが必要だ」とも考えたわけです。私の場合は、芸術を軸にして、「芸術教育」「作品制作」「芸術についての情報発信」「芸術についての書き物」などをフィールドにしながら、芸術について理解を深めています。どれが一番自分に合っているかは正直今のところわかりません。ですので試しながら、継続できるようにゆったり、時に厳しくやっているという感じです。
16 肩書きにこだわり続けると自由には生きられない
・仕事と肩書は自分でつくる
最近の世の中は、何をしているのかよくわからない仕事も増え、よくわからない肩書も増えました。今後はきっともっと多くの「何をしているのかよくわからない」「どうやってマネタイズしているのかわからない」仕事や肩書が増えると思います。まさに組織ではなく、個人で生きる時代なのでしょう。好きなことをしていたらそれが仕事になってしまった人もいますし、どうでもいい特技をSNSで発信し続けることで有名になって、インフルエンサー的な立場になる人もいます。そういうことが可能な時代になってしまったのです。
【私の場合】
現在、私は「教育」「芸術」「発信」などを人生のキーワードにして生活しています。肩書はあるものの、複数存在しどれか1つがメインという感じでありません。そしてすべての活動が、お金になっているわけではありません。しかし、充実感は明らかに今のほうが大きいのです。昔は、「公務員」「教員」という信頼の置けるパワーワードを背負い、傍からみたら充実しているように見えるかもしれませんが、私にとっては充実とは程遠いものでした。簡単に言ってしまえば、その仕事が「自分に合っておらず」「自分の充実度と関係ないことの比重が大きすぎる」ために苦しんでいたのです。今では、経験を活かし、教育の分野で必要最低限の稼ぎを得て、余った時間でこのように文章を書き、芸術や教育、人生についての発信をしています。
17 自分のゴールと他人のゴールは違うと気づく
・他人のゴールはあなたのゴールではない
あなたの人生のゴールはなんでしょうか。幸せなゴールとはなんでしょうか。多くの人が明確な答えを出せないのではないでしょうか。しかし、自分の幸せなゴールは自分で決めなければなりません。そして他人のゴールは自分の幸せなゴールとは無関係であると気づく必要があります。人それぞれスタートが違うようにゴールも違うのです。たとえそのゴールが他人から見て「立派ではないこと」でも「ちょっと幼いこと」でもいいのです。大事なのは「人と比較しないこと」です。ゴールの内容なんて、人それぞれです。「誰もが羨むゴールの仕方・内容」なんてありません。
【私の場合】
「後悔がないように人生を終えたい」私の人生における1つのテーマです。後悔とは突き詰めると「行動しなかったことへの心のモヤモヤ」です。モヤモヤは行動することで解決することがほとんどです。
私は35歳で教員を辞め、大学院に進学し、現在の生活を手に入れました。なぜこのようなことをしたかと言えば、「ずっと心のモヤモヤがあったから」です。高校を卒業し、大学では、勉強したいと思っていた芸術の分野は諦め、教員採用試験に受かりやすい教科を専攻しました。(この年代はまさに氷河期世代の最終世代です。まずは就職することが重要でした!!)大学院に行きたいと思っても、実家の経済状況から進学はせず、猛勉強の末、教員採用試験に受かり、教員として働きましたが、「芸術分野への憧れ」「大学院への憧れ」が払拭されることはありませんでした。そういう意味で、私の35歳からの挑戦は「芸術の学び」や「大学院進学」というずっと持ち続けていた「心のモヤモヤ」を解消するための1つの手段だったのです。私の挑戦はまだまだ終わりそうにありません。心のモヤモヤはまだまだ見つかりそうです。
おわりに
本書を読んでくださりありがとうございます。この本は、私のような「氷河期最終世代の皆さま」や「もう30代・40代になるけどなんか人生うまくいってない気がする・・・誰か背中を押してくれないかな」という方に向けた本です。
人生100年時代に生まれた私たちは、生きることに難を抱えている傾向にあるのではないでしょうか。そうなった理由は複数あれど、1番の理由は「今までのモデルが全く通用しない」ことにあると思われます。今までのモデルの30代・40代は家庭を持ち、子育て、親の介護が差し迫ってくる世代です。しかし現代は違うでしょう。独身は増え続け、親の介護は1人でやらなければならなくなる・・・、先祖と同じ墓に入るという概念はなくなり、更に家族という概念は薄れていくと思われます。私たちが80歳、100歳になるときにはもっと変わるでしょう。人生はもっと難しくなるはずです。自由権、自己責任のような言葉とともに、人生がより個人そのものに依るものになっていくかもしれません。私自身も現代に生きづらさを感じていますが、ここに著した考え方、見方を実践し、荒波を越えていきたいと思います。一緒に頑張っていきましょう。
リスキリング(学び直し)のススメ
リスキリング(学び直し)は勇気です。
そして自分を信じて諦めないことです。
私の場合は大学院に入学しましたが、リスキリングは「何歳でも」「どこでも」できます。今では、大学院を修了して次の挑戦しようとしています。このブログもその一つです。
会社員のままリスキリングする人もいます。
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大事なのは、「自分を諦めないこと」「勇気をもつこと」
この2点です。
35歳から大学院に入学するなんて普通に考えて頭おかしい人です。
でも、その行動をしたおかげで自分の人生が少し鮮やかに輝き始めた気がします。
自分は、先日展覧会を開きました。5年前の自分に言ってやりたい。
「大丈夫!どうにかなるし、今のほうが心が燃えているよ!」と。
人には、これまで生きてきた人生の中で少なからず諦めてきたことがあるはずです。私はそれが芸術でした。人によってはそれが旅行かもしれないし、スポーツかもしれない。でも歳を重ねることでわかることもあったはずです。若い時は実力がなかったり、反論されて拗ねていたりしたかもしれません。でも、今はあの時言われた言葉に言い返せるほどの実力がついていることがあります。(私はそうでした。)
その分野について学んでいないのに、反論できるほどに(違う見方を提示できたり)実力がついている・・・。年齢を無視してリスキリングができれば、日本のアカデミックな場はもっと盛り上がるのではないでしょうか。
私は本当にこの歳(当時35歳)で大学院に行って良かったと心底思っています。
大人になると目的意識もしっかりしてきます。現役の大学生、大学院生とは意識が違いました。(もちろん自分も大学生時代は飲んで飲んで飲んで…勉学は何処へ??状態でした…。)
今、私の記事を読んでくれているということはきっとリスキリングに興味を持たれていると思います。ぜひ自分を信じて、勇気を持ってみてください!!
今日はここまで。
[rakuten:rakutenkobo-ebooks:21639087:detail]
[rakuten:book:20939526:detail]
仕事を辞めて、自分らしい道を歩き始めた。
お久しぶりです。
大学院を卒業。
引っ越し。
新しい職場。
すべてが3年前から考えると様変わりしました。
新しい職場は複数あります。いわゆる派遣です。非正規雇用の中年になりました。
本当にこのままでいいのかな
非正規とか周りに笑われないかな
アラフォーで結局結婚もしてないし、世間体的にはヤバい人だよな
そんな風に心細くなることもあります。
でも周りと比べていいことなんて何一つありません。
私は私だし。
私であり続けるしかないので、これからも自分が思っている心地よさを追求していきたいと思います。
さしあたってやりたいことは、
・自分の活動をもっと広げたい
・個展を開いてみたい
・お金の心配がない程度に稼ぎたい(税金高すぎ)
・歯医者にいきたい(みなさん、歯医者行ってます?)
・パーソナルトレーニング再開してムキムキになりたい
・文句を言いつづけたい
非正規になってから責任のなさに救われることがたくさんあります。
4月から仕事をはじめて、最初の方は「頑張らなきゃ!」と思っていた部分が多かったのですが、自分に期待されているものがそもそも低い(非正規に任せている部分はほとんど責任が重くない)ので、そんなに肩ひじはらずにやろうと思うようになりました。
そうすると、
・職場に行くのに気が楽
・自然体でいられる
・家に帰ったら家のことをやれる(前は仕事のこと考えてた)
みたいな感じで、人生をしっかりと【暇つぶし程度】に考えられるようになりました。
自分は特別な存在でもなんでもない。ごく一般の人間であり、人生なんてそんなに大したもんじゃない。人生は【暇つぶし】みたいなものです。【暇つぶし】をどれだけ充実させるかに命をかけることが重要です。
朝にコーヒーを飲む
早朝に歩いて出勤する
非正規だから仕事も時短勤務
買い物に追われることがなくなる
洗濯物が溜まることはない
好きな音楽を聴く
気になっていた映画をアマプラを見る
もう22時だ。寝よ。
非正規は正直お金の面で不安があります。でも、精神的な面でも時間的な面でも余裕を取り戻し、人間らしい生活ができていることも事実です。
自分の人生はまだ半分以上あります。
この人生を暇つぶしと考えて、いかに暇つぶしを充実させるかにこれからも挑戦していきます。
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自分軸を大切に生きる 人生を変えるための秘訣
人生を変えるには環境を変えるしかなかった。
私は、35歳で公務員を退職し、大学院で自分のやりたかった芸術の研究をし、
現在は契約社員をしているアラフォー独身男性です。
よく言われるのは、
「よくその年で仕事辞めれたね」
「退職する勇気がすごい」
「非常勤でやっていけるの?」
「辞めないほうが良かったんじゃない?」
というようなお言葉です。私は前職が公務員のため、安定志向まっしぐらの人生でした。しかし、現在では、安定とは程遠い契約社員という立場で仕事をしています。
今日はなぜ、安定志向、辞めなければ安泰だったかもしれない公務員を辞めることができたのかと書いていきたいと思います。
- 1独身だったから
- 2両親もとりあえず元気だったから
- 3尊敬できる上司が周りにいなかったから
- 4次に進むためには、仕事だけでは突破できないと感じたから
- 5定年まで公務員をつづける未来を想像できなかったから
- 6自分の人生に責任を持ちたかったから
1独身だったから
これはでかい!!
独身じゃないと動けないことって多いと思います。もちろん、結婚しても動く人は動きますが、子どもがいるとなかなか難しい…。
ここで言いたいのは、
動こうと思っているなら、さっさと動こう(動け!!)
ってことです。結婚するとなったら、今度は結婚への道のりになってしまいますし、お金もかかります。独身の方々、今みなさんはチャンスを握っています。今しかありません!!
2両親もとりあえず元気だったから
これもでかい!!
両親がとりあえず自活できていたらありがたい話です。しかし、私の両親も最近大きな手術をしました。アラフォーになると両親の年齡もそれなりになってきますから当然です。もし介護が必要になってしまったら、動くことは難しいんじゃないでしょうか。今、ご両親が健康であるならば、そこに感謝して、
さっさと動きましょう!
3尊敬できる上司が周りにいなかったから
10年以上社会人を経験したアラフォーは、尊敬するという熱い思いがなくなってきました。これは、周りが能がなしだという話ではなく、そもそもの
「尊敬する」という意味合いが変わってくるということです。
20代の頃は、尊敬=仕事できる先輩すごい、とか単純な話で、それで憧れ(=尊敬の熱量)みたいなのがあったんですが、アラフォーになると、いろんなことが見えだして
あまり尊敬していなかった人でも
「あ、この人も実は大変だったんだな」とか
「この人、子育てもして残業してあんなに疲れてるからミスっても仕方ないよな」とか
ある意味で全員を尊敬できるようになってしまっがゆえ、強烈な憧れというものがなくなったという話です。
これは、同時に自分の至らなさを実感するものでもありました。
「こんな人でも実は裏でもがいてるんだよな、自分は・・・もがいてるのか??」みたいな。
そういう意味で、自分をもう一度「尊敬できる自分」押し上げることが重要ではないかと思うようになったんです。
自分への挑戦。安定を捨てて、もがきたかったのかもしれません(ただのMかも)
4次に進むためには、仕事だけでは突破できないと感じたから
私だけでなく、30代はいろんな岐路に立たされていると思います。男も女も関係なく。
仕事ではある程度のポジションに付く人もいれば、そうでない人生を選ぶ人も。
結婚する人もいればそうでない人も
子どもをつくる人もいればそうでない人も
「人生のステージを彩るには、仕事だけをやっていても充実したものはならなそう」
自分は独身でしたので、結婚も子どもも自分の人生の彩りにはなりえそうにありませんでした。普通であれば、有り余ったエネルギーを婚活なりに使うのかもしれませんが…。しかし、私のようにそもそも結婚に興味のない人もいるわけです(ここ大事!)
で、そういう人は仕事に没頭する、趣味にはしる、推しに貢ぐなどさまざま選択肢があるわけですが、私にはなーんにもなかったんです。唯一あったのが、「芸術への憧れ」でした。仕事だけでは、自分の人生は仕事になる。しかも、ずっと安定した仕事。安定という色は、私にとって「彩り」とは違うものだったのかもしれません。
5定年まで公務員をつづける未来を想像できなかったから
35歳で退職しましたが、現在は65歳が定年となっているようです。(定年って60じゃないのかよ!時代とともに変わるんかい!!)
私の職場でも言われていたのが
「定年ってもっと延びるよね、きっと」
35歳の時点であと30年。
この30年間の間に定年はもっと延びる可能性がある・・・。そう考えるといつまで働けばいいんだろう。もちろんその仕事が好きならそれでいい。でもね、好きじゃない仕事もたくさん含まれています。(仕事なんて大体そんなもん)もしかしたらそれをあと35年続けなければならないかもしれない・・・いや40年続けなければいけないかもしれない・・・いや、もしかしたら定年っていう概念もなくなるかも・・・。定年ギリギリまでこの仕事をしていたいかと言われれば、全く「NO!!」でした。
60歳になったら、自分の好きな芸術を近所の人と一緒にやりたい
60歳になったら、芸術教室を家の一角につくってサロンみたいにしたい
だったら、今からその準備を始めればいいじゃん!
想像できない定年とその後の生活よりも、やりたいと思っている明確な生活スタイル方が自分をやる気にさせてくれました。
6自分の人生に責任を持ちたかったから
私の人生を振り返ると、自分の意思で決めたことってあまりありません。
もちろん、選択してきたのは最終的に自分だし、そういう意味では自分で決めてきたんですが…。でもその選択の基準は
・親に反対されない
・他の人に行っても恥ずかしくない
・とりあえず食いっぱぐれない
という感じのまさに「他人軸」で物事を決めていました。(いまでもそういう部分はある(泣))
でも、小さい時からの興味関心は、
・歌手
・楽器
・ダンス
・服
・芸術
みたいな、食いっぱぐれまくりのものばかりにあったんです。
だから、35歳になって退職して大学院に進学した時、
初めて「好き」なものを選択できた
という達成感と満足感があったのを覚えています。これは、まさに「自分軸」!!
自分の人生に責任を持てた感覚がありました。
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というわけで、長々と書きましたが、
自分の人生を切り開くには、行動し、環境を変えるしかなかった
ので、35歳で退職という決断にいたったわけです。
今でもこの決断をしてくれた自分には感謝しています。
自分の人生の一部を自分の意思で決めるという当たり前のことは、社会的動物である人間にとって難しいことです。
これから、さらなる困難があっても自分軸を大切に生きていこうと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました!