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〜教育・ミニマリスト・幸福論〜

35歳で仕事を辞めて大学院に行った話〜辞める前〜辞めたあと〜

仕事を辞めて、1ヶ月が経ちました。

現在、大学院に通っています。無職です。

 

仕事を辞めて、体調がすこぶる良くなりました。

そんな簡単に仕事なんて辞められませんよね。自分もそうでした。

 

なので、今日は

 

自分の場合、どういう経緯で今に至ったのか、を書きたいと思います。

 

1 仕事辞めたいな時期

2 仕事やめよう時期

3 辞めてどうしようかな時期

4 やるしかない時期

 

の4つに分けて書きます。

 

1 仕事辞めたいな時期

 

ここが一番つらい。自分の場合は

・いつも仕事のことしか考えていない自分への不安 プライベートは?

・自分より仕事が遅い人に対するいら立ち

・自分より仕事が早い人への妬み

・仕事をする上で必要な関係人口の多さ 

・組織に属する以上、自分のポリシーを曲げなければならない辛さ

・休みがなかなか取れないこと

・コロナ禍で旅行に行けない辛さ(公務員だったので、なんか周りの目が怖かった)

などなどで「辞めたい」と思う時期が長く続きました。

 

2 仕事やめよう時期

 

やめようと思ったのは、つい最近1〜2年前です。

 

自分の場合、

「仕事やめよう=お金貯めなきゃ」

 

という図式が成り立ちました。

すぐにYOUTUBEで「生活費下げる」「ミニマリスト」「投資」「家賃」「貯金」

とか調べました。今はネットで色んな情報が手に入ります。本当にすごい。YOUTUBE見るだけでめちゃくちゃ勉強になります。

 

すぐにネット銀行を開設、格安シムに変えたら、一気に貯金が回り始めました。

 

テレビを捨て、よくわからず入っていた保険を解約し、どんどん辞めていったら本当に身軽になっていきました。

 

 

「公務員っていう肩書も解約したいな」

 

ここらへんからそういう風に感じるようになりました。

 

3 辞めてどうしようかな時期

 

「辞めてどうしたいんだろう」「辞めたらどうなるのかな」

このとき思ったのは、人生が終わるときに後悔だけはしたくないなってことです。

 

私は東北出身です。

東日本大震災の被災者でもあります。

 

あのとき感じたことは、「誰が今日こんな大災害が起こると予想できただろう」です。

 

あのとき、多くの人が愛する人を失い、家を失い、何もかもないような状態になりました。絶望でした。何も悪いことしてないのに。若い命もたくさん奪われました。

 

やりたいことは、時期が来たらやれるわけではありません。そのときには、もうやれないかもしれない。だからやりたいことは今やったほうがいい。

 

自分の場合は

「やりたいこと=もっと勉強したい、今までやってきた分野を極めたい」

でした。

この夢を叶ええくれるのは「大学院」しかないと思い、準備をはじめました。

 

4 やるしかない時期

 

大学院にもたくさんの種類があります。

国公立、私立、社会人大学院、専門職大学院通信制大学院、科目履修生・・・

 

自分の場合

・学費

・立地

・住みやすさ

・学問分野

・教授との相性

・資格の有無

・卒業後の進路

などなどを考えながら進路先を決めました。このときは本当に吟味しました。教授にメールを送って、どんな研究をしているのか、自分が研究したいことは本当にそこでできるのかなど、色々メールしました。

 

結果、まったく縁もゆかりもない土地に来てしまいました笑

でも、これもご縁です、住めば都という感じです。来て良かった。

 

新しい文化、新しい人脈、新しい学問・・・

新しいことは何歳になっても刺激になります。

もっと挑戦したいという意欲も湧いてきます。

 

大学院なので、2年で終了します。もうすでに1ヶ月が過ぎました。

充実した生活を送るために更に頑張りたいです。

 

無責任なことは言えないし、他の人に勧めるわけではないけれど、

自分はこの選択は間違っていなかったなと思っています。

 

最後に

・仕事が辛い

・朝起きるのが辛い

・他人の評価だけが自分の軸になってしまっている

・自分の人生を自分の裁量で決めたい

 

今の環境を抜け出す手段を持っているのは自分だけ

やりたいこと・出会いたい人は、待っていてもできないし、現れません。

 

ということを強く言いたいです。

 

今日はここまでです。