1 社会が思う幸せとは
いい高校
いい大学
いい企業
結婚
子どもがいる
マイホーム
自家用車
こどもが結婚
こどもがいい中学
こどもがいい高校
こどもがいい企業
こどもが結婚
孫がいる
自分が定年退職
退職金と年金でのんびり
老衰で逝去
…
社会が思う幸せは、繰り返しが多い。
繰り返しは、未来が確定している前提で行われる。
現代で繰り返しは可能だろうか。繰り返すことが本当に個人の幸せにつながるのだろうか。
2 現代で社会が思う幸せは通用するのか
否!!
現代において、全てにおいて「繰り返し」というようなことは起こり得ない。
流動的に変化していく製品、価値観、人の流れ…。
変化していく社会の中では繰り返しは通用しない。
変化していく社会の中では、それまであったものの価値観が変わっていく。
価値観が変わるということは、存在の意味すら変わってしまうことである。
友達のような親子が存在するのは、親の存在意味が変わったからだろう。
同様に幸せの価値や幸せの枠組み、幸せの意味も変わってくる。
幸せは社会から押し付けられる、または社会が決めてくれるものではなくなったのだと感じる。
3 これからの価値観について
社会的価値観を捨てることの重要性。
現代において、価値観というものは固定的ではなく、流動的な傾向にある。
一つの事象、対象に対して、意味付けは無数にある。そこに付随する価値も無数であろう。
そう考えた時、社会的価値観は個人にとって不要なのであろう。
4 これからの幸せを考える
最初にこの動画を見てほしい。
私もよくやってしまうのがこの質問
「なんでですか?」「どうしてですか?」
この動画ではその「なぜ?」という疑問の価値を真っ向から否定している。
・根拠を持つ
・効率的に物事を進める
これは現代に生きるものにとって重要なキーワードに思える。
しかし、時代はVUCA。
曖昧な時代において、そこに根拠を求めることもできなければ、新規開拓において、効率性も求められないのだろう。
「なぜ?」という言葉に答えられないからと言ってすべての歩みを止めてしまうのは、もったいない。
むしろ根拠ができてしまうのは、そこに根拠としての正解があるからだろう。今求められているのは、根拠をはっきり説明できないけど、可能性に満ちあふれている金脈なのであろう。
5 終わりに
このように考えていくと社会的に良しとされている価値観が今の時代に合わなくなってきているのは確かだろう。今を生きていることは、自分で自分の納得できる答えを探すことであり、社会的な圧力や、他人の価値観に縛られることではない。
もっと自分や自分が好きな人とたくさん語って、たくさん笑って生きればいいのだと感じます。