大学院に進学し、芸術を扱うようになってから、芸術というものがいかに浪費であるかということを学んだ。
※もちろん、芸術の存在意義については多種多様な考えかたがあり、ただの浪費と捉えることが適切ではないことは承知している
そのような芸術の文脈の中で、ミニマリズムとは何なのかについて、語りたい。
ミニマリズムと芸術の関係については、あまり語られていない気がする。
そもそも、ミニマリズムとはなんだろう。
私の感覚としては
・究極にものを捨てる
・捨てたから大事なものがわかってくる
・大事なものを大切にしていこう
大雑把にいうとこのような概念だと思う。
言い換えれば、自分にとって重要なこと以外はすべて捨てよう、という話だろう。
しかも、捨てれば捨てるほど、その大事なものは見えてくるらしい。
私もミニマリズムに目覚め、多くのものを捨ててきた。特に引っ越しの際には、多くのものを捨て、売り、譲ってきた。
そのせいか、家は小さくていいことに気づき、机の上は片付き、作業もしやすくなった。
私はこの状態を喜び、これがミニマリズムなんだと感動したわけである。
時が経ち、私は大学院に進学する。今の仕事を退職し、大学院に進学するという決断をしたのは、他でもないミニマリズムのおかげだと思っている。
すべてを捨てたら、自分の気持ちに気づけたという感覚であろうか。
そして、大学院生活も1年と半分が過ぎた。
私の部屋はミニマリストとはほど遠い。
作品の道具に溢れ、試作品の山があり、材料の山がそこにある。
芸術はミニマリズムとは対極にある概念なのではないだろうか。
最近は、ミニマリズムの考え方と似た「引き算の美学」のようなものが至る所にある。洗練されており、ほとんど装飾されていないものをみると、なんだか落ち着かなくなっている自分がいる。
わたしたちにとって、必要とはなにか、不必要とはなにか
芸術は不必要の塊であり、不必要を人間は必要としているのではないか。
すべて目的のためのみにある世界に、どんな彩りがあるのだろう。
色、形、言語、歴史
人間が生物として生き延びるためには、ほとんどが無駄かもしれない。
ミニマリズムがもたらすものは人間のロボット化かもしれない
ミニマリズムという概念の定義はまだまだあやふやではあるものの、ものだけでなく、人間関係にもその概念を適用する場合がある。
もちろん、特定の人との関係は切れないものが多いが、人間関係をもっと簡素なものにしようという動きは十分に感じられる。
まさに、自分にとって心地よいかどうか、損かどうかだけで人間関係が構築されようとしている。さらには、その特定の人間関係ですら切ろうとするミニマリズムも今後はあり得るだろう(考えすぎだろうか)
無駄を省き、目的以外のものは持たず、飄々と生きていく
ロボットのような生活である。
果たしてこれが本当に21世紀の生き方なのであろうか。
私達はミニマリズムを「生き方」として提案することに少し敏感になったほうがいいのではなかろうか。
先にも紹介したが、私はミニマリズム的思考や行動を行い、自分の次のステージについて考えることができた。
しかしミニマリズムを生き方として捉えると、つらくなる傾向にあるに感じている。目的に合致するもの以外を排除することで遊びの入る余地がなくなってしまうからだ。
それよりも、思考を整理したり、自分に気づく方法として、活用するのがいいのではなかろうか。
そもそも複雑な人間にとって、ミニマリズムが万能だとは思えない。
ミニマリズムは生き方ではい。方法である。
私はそう感じている。